ゆっくり着実に

ゆっくり着実が成功の素

朝井リョウ/何者を読んで

何者  

今までの教育でみんなと同じように、画一的な、前ならえな教育を施されきた若者がいきなり個性をアピールすることを求められる就活って本当に酷だと思う。

ESが通らない、面接を受けて落とされる。なんで落とされたかは教えてくれない。それは疑心暗鬼にならないはずがない。

就職がつらいものだと言われる理由は、ふたつあるように思う。ひとつはもちろん、試験に落ち続けること。単純に、誰かから拒否される体験を何度も繰り返すというのは、つらい。そしてもうひとつは、そんなにたいしたものではない自分を、たいしたもののように話し続けなくてはならないことだ。

 

この小説には最後に仕掛けが待っているのだが、みんなで「仲間」として就活を頑張っていますという中での、嫉み、自分だけはこいつらとは違うんだという仮想的有能感をうまく表現している。就職試験を受けるということは、今まで点数をつけられていたテストで赤点をもらうこととは違うものがある。それは、自分の人格を否定されるほどの痛手になることだし、そこから立ち直ってさらに前に進んで行かなければならない若者が自己防衛として、仮想的有能感を持つことは必然ではないのだろうか。

裏返された模擬ESは、水のりを使ったからだろう、証明写真が貼られているところだけでこぼこと波打っている。証明写真に写っているはずのないまっずぐに伸びた自信満々の背中が、裏返された模擬ESを透かせば見えるような気がした。

みんなが同じ画一的なリクルートスーツを来て、説明会や試験を受けに行くことを批判する隆良が出てくる。隆良にとってみたらみんなと「違う」ということが自分の価値観を引き立てているとアピールする。

 

たくさんの人間が同じスーツを着て、同じようなことを訊かれ、同じようなことを喋る。確かにそれは個々の石のない大きな流れに見えるかもしれない。だけどそれは、「就職活動をする」という決断をした人たちひとりひとりの集まりなのだ。自分はアーティストや起業家にはきっともうなれない。そんな小さな希望をもとに大きな決断を下したひとりひとりが、同じスーツを着て同じように面接に臨んでいるだけだ。


就職活動をしている学生は、みんなちょっとしたことで、揚げ足を取られないように気を遣う。他人と違うことをしていることが、協調性が欠如しているから団体行動が取れないのでこの子は仕事をする上で向いていないと言われないための最大限の考慮なのだ。それを笑うものがいるのであれば、笑えばいい。こんな社会に誰がした?といった仄暗い社会の暗部を見せられている気分に浸らせられる。


最後は、作者からのメッセージかなと自分は思って読んだ。

十点でも二十点でもいいから、自分を出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。百点になるまで何かを煮詰めてそれを表現したって、あなたのことをあなたと同じように見ている人はもういないんだって。

何者かになろうとする若者へ向けてのメッセージ。他人に評価されることが全てじゃないんだよ。自分が自分の人生の主人公なんだ。他人の見た目のために取り繕っていてもいつまでたっても何も出来ないよといったメッセージを感じた。このメッセージは今の若者にとってみたらとても酷なものに感じられる。自分だけの力では何者にもなれないと思い込んでる若者へのメッセージなのかもしれないのだけど、失敗が許されない(許されないと思わせる)社会で、自己を表現していくことにはすごく勇気が必要だ。

 

「誰でも知っているでけえ商社とか、広告とかマスコミとか、そういうところの内定って、なんかまるでその人が全部まるごと肯定されている感じじゃん」